アパートの玄関の前で、仰向けになってばたばたしてるカナブンがいた。
今年もこの時期かと、カナブンをうつ伏せの状態に戻してあげると、よろよろと歩き出した。
うちの廊下は外なので、夏になるとふらふらと虫がたどり着く。
去年も同じような事を何度かした覚えがある。
そして決まって彼らは、数日後に息をひきとり廊下の隅に転がっている。
今年も、起こしてあげた甲斐もなく、二日後に廊下の隅で動かなくなったカナブンがいた。
僕は彼の亡骸を近くの土の上に戻してあげた。
アパートのずぼらな管理会社のおかげで、夏場は虫の葬儀屋をコツコツやらなければならない。
そういえば、7月にはゴキブリが廊下を歩いていた。
もちろん苦手。
しかし不思議なもので、やつは家の中にいなければどうって事はない。
僕の部屋は、ブラックキャップのトラップだらけで、住み心地が悪いのか今年も侵入されていない。
しかしまあ、目と鼻の先をうろうろされるのは困るので退治する事にした。
スプレータイプに悶える彼を見ながら、申し訳ない思いが芽生えるので、こう考える事にしている。
ゴキブリは気持ち良すぎて昇天している。
きっと幸せな気持ちで息をひきとっているのだと。
彼の亡骸もまた、近くの土のところに届けた。
いつかは土に還る。
害虫だろうが益虫だろうが、土やアリや微生物があれば、自然に還っていく。
だから、コンクリートやアスファルトの上で亡くなった虫の姿を見ると、土の上へ届けてあげようと思う。
また、つい先日カルオケ合宿で兵庫県のハチ高原近くの翠山荘にお邪魔した時、メンバー宿舎の建物内にいた大きなアブを、網戸の外へ追い出すために格闘した。
翠山荘に着くまでに、沢山の野生の鹿が道端からこちらを見ていた。
熊も出るという。
僕の実家付近は、田舎ではあるけど、海側の小さな山の麓なので、野生の動物はあまり多くない。
それでも色んな虫を見て、動物を見て、飼って育てていた。
今思うと、田舎育ちの特権かもしれない。
よく考えてみたら、僕は色んな生き物と出会って別れてきたんだなあと。
カナブンの亡骸を見た時、実家で猫を飼い出した時の思い出や、別れの思い出が頭の中に浮かんだ。
僕は、彼らをちゃんと見送る事が出来てたかな?
そう思うと、飼ってもいないカナブンにも自然に還ってほしいと思った。
僕より短命な虫や動物は、僕に"死"を教えてくれた。
それが、今回は出会ったばかりのカナブンだった。
僕ら人間は長生きだから、死ぬという事がとても遠くに感じてるのかもしれない。
実際、僕はまだ死ぬ事を想定してない。
僕は、アスファルトとコンクリートとビルと便利な生活にかまけて、自然にある当たり前の生死を、無関心になって見逃しているのかもしれない。
夏は命が溢れると同時に、燃え尽きる時期でもある。
だから夏にお盆があるのかもしれない。
昔の人は、自然の中で色んな生き物と一緒に季節を感じて、夏になると沢山の生き死を感じる事が出来たんだろうね。
なんてことを、ふと思いました。
とりあえず、お盆終わりにアパートに帰った時には、コガネムシじゃなくて黄金がブイブイいわしてますよう願います。
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