2016/01/03

僕を受け入れ始めたネコは努力しているのか。

顔を見て逃げ出していた猫も、警戒心が薄れてきたのか、彼らからやたらと視線を感じるようになった3日目の朝。

お正月休みは終わり、丸亀駅から特急に乗り込んだ。
実家から仕事へ向かうのはなんとも不思議な感覚。


お正月のたったの2日間で、会いたい友人みんなに会えたわけでもなく、香川でやりたい事が出来たわけでもないけど、家族団欒に参加出来て良かった。
長い付き合いの友人夫婦とドライブできて良かった。


家のペットたちの老いた姿と、成長している姪の姿を見ていると、時間は流れているんだなと、当たり前の事を深く感じたりもした。

僕が会話の主導権は握れないまま、いつまでもしゃべり続ける家族や、二人とも自然体で仲の良い友人夫婦を見てると、変わらない心地良さを感じた。


変わる事と変わらない事は、せめぎ合うわけでもなく矛盾を生むわけでもなく、淡々と日常を繋いでいる。

変わらないと思っても変わるし、変わろうと思っても変わらない。

"あるがまま"というのは、そんなものなのかもしれないね。



しかし、3日目の僕を受け入れようしたネコ達の心境の変化もまた、環境を受け入れるための"あるがまま"の姿勢。

僕が帰ると、老いて震える身体にもかかわらず飛びついて迎えてくれる犬も、老いに屈しないで喜びを伝えてくれた"あるがまま"の心。

照れ屋だった姪っ子が成長し、僕とよく遊んでくれるのもまた、彼女が選択した"あるがまま"。

帰ればいつも遊んでくれる友人夫妻もまた、団欒の時間を割いて僕と会ってくれる決断をしてくれている。

お正月に家族全員が集まったのだって、それぞれの意思によって生まれた時間。



"あるがまま"とは、結果だ。
変化し続けた結果、そこにいるだけの事。
これから変化を拒む姿勢ではない。
なにもしない事ではない。

変わらないための決断もあって、変わるための決断もある。
日常は決断の繰り返し。


いろんな事を受け入れながら、毎日の小さな決断と、時に大きな決断を繰り返し、今日を明日へ繋ぐ努力の結果、あるがままの日常を生み出しているのかもしれない。


決断も努力も、とても日常的なこと。
人それぞれが、小さな変化を作ったり受け入れたりしながら、未来は創られていく。


僕の未来も、小さな決断と努力をコツコツと積み上げていきたいと思う。




帰省ラッシュ対策で実家を早めに出た結果、
特急で座れず、
岡山発の新幹線でも席争奪戦に敗北し、
ぎゅうぎゅうのデッキで立ち尽しながら、
世の常を哲学する事によって、
敗北感をなかった事にするお正月休みの終わり。

車移動より楽です。
ヱヴァンゲリヲン新幹線見れたからいいの。


ただいま大阪。
今日ライブして、また東京へ帰ります。


今年もよろしくお願いします。

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